京都アピール〜表現の自由を求めて〜
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「あいちトリエンナーレ2019」において、企画展「表現の不自由展・その後」をめぐり混乱が発生したことを原因として、文化庁は、愛知県に対する補助金約7800万円を不交付とする決定をおこないました。この決定は、その後に取り消され、文化庁が愛知県に対して約6600万円の補助金を交付することで、当事者間においては一応の決着を見ましたが、この一連の文化庁の言動は、公権力が、補助金を通じて、私人の表現の自由の行使をコントロールする危険性を有することを顕在化させました。
その後、文化庁が所管する独立行政法人日本芸術文化振興会が、文化芸術活動を助成する「芸術文化振興基金」の要綱を改正し、「公益性の観点から不適当と認められる場合」、助成金の交付内定や交付決定を取り消すことができる旨の規定が付け加えられました。ここでいう「公益性」はいかようにも解釈される可能性があるため、この改正によって、公権力の恣意的な運用により表現の自由の行使がコントロールされる危険性が増大しました。
このように、現在の日本においては、公権力が私人の表現の自由の行使を恣意的にコントロールし、自身にとって不都合な表現を表現市場から排除する危険性が高まっている状況にあります。仮に公権力がそのような状況であることを否定するとしても、表現する者に対する萎縮効果が生じていることは疑いようもありません。
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憲法21条1項で保障されている「表現の自由」は、二つの価値により支えられていると言われます。一つは、個人が言論その他の表現活動を通じて人格を形成させるという「自己実現の価値」です。もう一つは、私たちが、言論その他の表現活動を通じて、政治的意思決定をはじめとした様々な領域における社会的決定に関与するという「自己統治の価値」です。これらは、いずれも高度の価値を有することから、表現の自由は、憲法上、厚く保障されています。
また、表現の自由は、傷つきやすい権利であり、公権力によりひとたび制約・侵害されると、その回復が困難であると言われています。そのため、表現の自由の制約が許容されるためには、厳格な審査が必要です。
しかるに、前項で述べたあいちトリエンナーレの補助金不交付決定や、日本芸術文化振興会の要綱改正は、いずれも、こうした表現の自由の高度の価値や、その傷つきやすさについての配慮がまったく欠けています。したがって、私たちは、こうした公権力による表現の自由の恣意的な制約・侵害を、到底許容できません。
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芸術表現は、その創造性や批判性で、私たちが有する常識を打ち砕き、社会の隠れた偏見を暴き、世界に対する新たな視点を提供し、そうすることで、自由かつ公正で、包摂的な社会の実現に寄与しています。
私たちは、こうした芸術その他の表現活動に対する理解を欠く昨今の文化庁の在り方に強く抗議するとともに、文化庁が、あらためて日本国憲法における「表現の自由」の保障の趣旨と、芸術表現の存在意義を正しく理解し、真に豊かな社会の実現に向けた文化政策を実施することを求めます。
京都アピール〜表現の自由を求めて〜
賛同のお願い
ぜひ「京都アピール〜表現の自由を求めて〜」にご賛同ください。
ご賛同いただける場合は、下記Googleフォーム、メール、またはFAXに、必要事項をご記入の上、送信してくださいますようお願いします。周りの人にもお声をおかけください。
「京都アピール〜表現の自由を求めて〜」を文部科学大臣・文化庁長官宛に提出するとともに、誰にとっても大切な表現の自由を求めるための様々な活動に取り組んでいきます。
表現の「不自由」を憂える京都アピールの会
荒木晋太郎(画家) 貴志在介(美術家/京都アートカウンシル幹事) 白坂有子(会社経営/元美術科教員) 佐々木佳継(京都労演) 佐藤能史(編集者) 鈴木杜夫(美術家) 髙谷光雄(染色家/京都精華大学名誉教授) たけしまさよ(マンガ家) 田中直子(画家) 丹下絋希(人間/映像作家) 伏原納知子(絵本作家/堺町画廊) 堀内絢見 堀内たかみ(舞台衣装企画制作/版画家) 真鍋宗平(造形作家) 和田浩(弁護士/舞踏家) (五十音順)
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FAXの場合
下記リンクよりPDFをダウンロードしてプリントアウトしてください。
賛同のご署名の上、以下宛先までご送信ください。FAX :
075-211-7855 (京都労演内)
「表現の自由を手放さないために」 ※文中の(注)はクリックかタップすると注釈が表示されます
「表現の自由」は、現在、憲法21条で保障されています。
しかし、歴史を振り返ると、その時代の支配的な価値観と異なる考え方は弾圧の対象とされてきました。特に戦時下では、公権力によって情報が操作され、国策に合った表現活動が奨励される一方、これに合わない表現は激しく弾圧されました。庶民の生活はその自由を著しく制限されていた上に、大きな犠牲を伴いながら社会全体が自滅に向かいました。
私たちはこのことを忘れてはならないでしょう。
表現の自由は、現在においても、現実に十分保障されているとは言えません。
例えば、2019年のあいちトリエンナーレの補助金不交付決定👆や、日本芸術文化振興会の要綱改正👆、さらには日本学術会議会員の任命拒否問題👆を目の当たりにし、私たちは、日本の公権力が負の歴史を省みず、公益性の名のもとに👆、その方針に合わない表現や、批判的な言論を規制しようとする姿勢に大きな危険を感じます。
なぜならば、私たちが真実を知る権利や、多様な表現に接する機会を奪われることにより、日本社会全体が思考停止状態に陥り、社会的少数者に対する不当な抑圧が横行し、そして未来にわたり、私たちが健康で文化的な生活を営むための土壌が蝕まれかねないからです。
文化芸術基本法👆には「文化芸術は、人々の創造性をはぐくみ、その表現力を高めるとともに、人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し、多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり、世界の平和に寄与するものである。」と謳われています。他方、公権力が、特定の表現を恣意的に排除したり、その逆に助長したりする場合には、こうした芸術文化の意義が歪められるおそれがあります。
そこで、イギリスの文化行政がアーツカウンシル(芸術協議会)という専門家集団によってアーティストを支援しているように、日本においても、「arm’s length(アームズ・レングス)の原則👆」を踏まえて、芸術の自由と独立性を保つための実践が進められるべきでしょう。
現在、表現活動に対する脅威は、公権力に由来するものには限られません。
例えば、表現活動を、私人が威力を用いて妨害する事態が現に発生しています。
表現活動が、他者の人権を侵害し、また、尊厳を傷つけるものであってはならないことは当然ですが、特に多様な意見が認められない風潮のある社会において、私たちは過度に萎縮し、表現を自己規制する傾向もあります。
このように、表現の自由が多方面からの脅威に晒されている現在、芸術家、鑑賞者、カルチュラルワーカー、キュレーター、会場、行政等がそれぞれの役割を尊重しつつ、安心して発言し、対話できる環境をつくっていくことが急務と考えます。
例えば、あいちトリエンナーレの参加アーティストたちによるプロジェクトRe Freedom Aichiが起草した「あいち宣言」「あいちプロトコル👆」は、アーティストのみならず表現に関わるさまざまな立場の人の権利と責務を明らかにしており、これからの表現活動を行うにあたっての示唆に富んでいます。
芸術表現は、私たちの心を動かし、他者とのコミュニケーションを誘発し、この社会を豊かにしてきました。芸術に限らず、表現の中には、鋭い批判を含むものや、決して快適とはいえないものも存在するでしょう。しかし、そうした表現もまた、私たちの心を揺さぶり、時に人を救い、社会に問いを投げかけてきました。
表現の自由の危機の時代においても、私たちは、こうした表現の多様性を守り、これを発展させなければなりません。そこで、多岐にわたる表現活動を担い、支える人々が交流し、連携していくことで、表現活動を大きく豊かなものにし、未来に手渡していきたいと考えます。
表現の「不自由」を憂える京都アピールの会
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